別館「トルコ旅行と絨毯恋愛詐欺」

Z---という悪徳じゅうたん屋

1.ウooo(uooo)という絨毯屋

仕事に疲れ、のんびりしようと癒しを求め旅立ったイスタンブールで、悪質な絨毯屋にひっかかってしまった私。

帰ってからネットで調べると、出るわ出るわ、「Z---」という店の名前と、ウoooという経営者(?)の名前。
ウooo」というキーワードでの検索は「ウooo 絨毯」「ウooo メテoo」と他のキーワード候補さえも出る程のヒットぶり。

女性には恋愛商法、男性には友情商法で高く絨毯を売りつけるという悪徳業者、プロの詐欺師としてネットで超有名な人物なのでした。(イスタンブールでもそうかも?)
そんな事とはつゆ知らず、Fホテルの斜め向かいに位置し、間口は狭いものの4階建てのなかなかこぎれいな店に、旅行中入り浸ってしまった私。

高い絨毯を買ってしまった、ばかでお間抜けな顛末記を笑ってやって下さい。
そして、このブログで「奴らの名前」をもっとネッ上に知らしめ、せめてもの被害者が少しでも減ればいいと願います。

2.ユooとの出会い

2009年9月、抱え込んでいた仕事が一段落、1週間の休暇をもぎとってトルコ旅行へと出発しました。
あちこち周らずにイスタンブールに限定してゆっくりしよう。

直行便のトルコ航空で13時間のフライト、空港には早朝5時に到着しタクシーでホテルへと向かう。
12時のチェックインにもかかわらず部屋はすぐ提供され、荷物をほどいて紅茶などを飲みながらしばしぼんやりした後、8時頃朝食バイクングへ。
フライトの疲れがゆるんでいく・・・。
部屋にもどり寝ようかなとも思いましたが、神経は冴えているので思い切って街を歩いてみる事に。ブルーモスク、モザイク美術館を経てアタラスバザールへと抜ける。

「ちょっと見ていきませんか〜?」「日本人でしょう?お茶飲みましょう」などど調子のいい絨毯屋の呼び込みを無視して歩いていると、「ホテルは?」とおじさんがついてくる。「予約してあるからいらないの」
勝手についてきても知らんもんね・・とさっさと歩くも、おじさん何やら電話しながら付いてくる。角を曲がると、フォーシーズンズホテルが目の前に現れ思わず足が止まりました。
と、突然目の前に若い男が現れ「こんにちは」と非常に自然な日本語で話しかけてきたのです。
 
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フォーシーズンズホテル

3.セブンヒルズホテルの屋上テラス

「こんにちは」と話しかけてきた若い男の後ろを見ると、何と絨毯屋の軒下じゃない。
気が付けば、「ホテルは?」と勝手にスタコラついて来たおじさんもいない。
ははあ、こいつに電話して私を引き渡したんだ、要するに「ホテルおじさん」はここの絨毯屋の客引きね・・・。

「さっきの人から電話もらったの?」と私。
「全然違うよ。」と真面目に否定する彼。

考え過ぎかな、あんまり人を疑うのも良くないかな。
空港からのタクシーも、ドライバーを少々疑いつつメーターを確認し乗った私。事前情報では40リラ前後との事。スルタンアフメットに入ってホテルを見つけられずぐるぐる廻ったけれど、小額のお釣りも返そうとしたドライバーにこちらが反省、お釣りはチップとして渡しました。
旅先ではボラレまいと警戒するのが基本というものの、あまり色眼鏡で見ても「人との出会い」という旅の醍醐味を捨ててしまう事になりかねない。

などど考えがぐるぐる回っている間にも、彼は次々と日本語で話しかけてくる。
「海がきれいに見える所があるよ。セブンヒルズホテルってガイドブックにも出てる有名なホテルだけど、知らない?」

歩いて1分程のそのホテルの屋上テラスに上ると、眼前に広がる素晴らしい景色・・・。
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フォーシーズンズホテル

気持ちのいい風が頬を吹き抜けます。
出発の前日まで仕事をし、当日パッケージに荷物を詰めてあわただしく機上しイスタンブールへと降り立った私に、まるでごほうびの様な爽やかな風。

4.ギュルハネ公園で、ユooとチャイ

ユooと次に行ったのがトプカプ宮殿の城壁内にある「ギュルハネ公園」でした。
公園を突っ切った先に、海に面して素朴なチャイガーデンがあり、そこでユooの話を聞きました。
眼前に広がるマルマラ海は、ボスポラス海峡を挟んでアジア大陸とヨーロッパ大陸を同時に視界に収める事のできる、イスタンブールでしか見る事のできない特上とも言うべき素晴らしい景色。

ユooは「トルコは今に世界一になるよ。観光客は世界中から来るし、新たな遺跡も発見されてる。今家を買ったら将来絶対値上がりするよ。」
将来への前進を確信する故国への愛国心と、自分の夢を語るユヌスの顔は、私にはとても新鮮に映りました。閉塞感漂う20〜30代の日本の世代と比べて、まあ何とたくましく明るいことか・・・。
東京に拠点を置き、日本とトルコを往復して絨毯を売っているという29歳のユoo。

頭のよさと才覚に恵まれ、話術もうまく社交的、そこら辺にいる客引きとは明らかに一線を画していました。加えて、吸い込まれそうな大きな瞳と人の気をそらせない人懐っこい笑顔に、いつしか日本での疲弊した日常から解放され、聞き入っている私がいました。

今ではよく分かる。
そんな私の心の動きを冷徹に観察していたユooがいたと思う。
毎日毎日、毎年毎年、客と接し、絨毯を買わすために知恵と策略を巡らしているプロなのだ。
彼は、このスルタンアフメットで、若くして最も成功しつつある絨毯屋の一人であった。
 
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5.恋愛劇場の始まり

セブンヒルズホテルの屋上テラスからは、アヤソフィアの全景と、その前に広がる遺跡発掘現場を見ることが出来ます。「海中トンネルの工事現場から出てきた遺跡も、見える所があるよ」とユoo。
アジア側の「ユスキュダル」とヨーロッパ側の「スィルケジ」を結ぶ海中トンネルは、遺跡発見により遅滞していると聞いています。
遺跡好きの私としてはぜひ見てみたい。ギュルハネ公園を後にし、屋上から見えるというその建物へとユooと一緒に向かいました。

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アヤソフィア前に広がる遺跡群

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スポーツジムの建物屋上から見た遺跡

「完成後の通行料の権利を得る代わりに、大成建設がただで工事しているよ」とユooまさかただという事はあり得ないと思ったけれど、ヒッタイトの遺跡といい、いまだトルコ全土に未知の遺跡はたくさん眠っているに違いない。

この建物の1階は「スポーツジム」になっており、「ハマムを体験しようよ」とユooに誘われる。
ホテルに帰ってもユニットバスだし、深夜便での疲れも限界、ゆっくり汗を流すのもいいかも・・・後から考えれば、知り合ったばかりの男と日本では絶対そんな所に行くはずもないのに、私はユooの誘いに乗ってしまった。
直近の仕事が成功し、その満足感と達成感もあったろう。旅先での開放感もあったろう。でも何よりユooへの好意が、私を大胆にさせた。
もちろん、当然ながら、ハマムは男女別と思った。

6.ハマムで二人きりに

ハマムは男女別ではなかった。
バスタオル1枚になった私は、サウナで他の男性客とも一緒になってしまった。
「何で女がいるの」と思われたかもしれない。
でもジムのスタッフは当たり前の様に私を案内したのだ。
後から考えてみれば、トルコは男社会、「スポーツジム」などに通うのは男性だけなのかもしれない。ジャロームハマムなどとは違うという認識を持つべきであった。

ハマムを出て「クムカプ」で魚料理を食べる。
私は睡眠不足と疲れでフラフラ、ほとんど食べる事が出来ないのに、ユooの食べっぷりはどうだろう。食事が終わる頃、タイミングよく迎えにきたZ---の車でホテルへと帰る。
途中で降りたユooは「明日はどこにいくの?」
「トプカプ宮殿」
「ホテルまで迎えに行くよ。10時ね」
別にひとりで行けると思ったけれど、この時以来、ボディガードよろしくユooはぴったり私に張り付いてきた。

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Z---の悪い評判を私の耳に入れまいとする戦略。
「いろんな人とあまり話をしないでね」と焼きもちを焼くナイトの仮面をかぶりながら。

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クムカプ 

翌朝、ホテルまで迎えにきたユooと一緒にトプカプへと向かい、私が宮殿に入ったのを見届けてユooは仕事へと行った。約束の3時間後、宮殿を出たところでユooは私を見つけ「1時間、芝生の上で寝てたからお尻が冷たくなったよ」とニッコリ笑った。
日本人の若い女の子二人連れがトプカプを背景に互いに写真を撮り合っているのを見ると、「一緒に撮ってあげましょう」とすかさずそれぞれのカメラで撮ってあげる。女の子達は大喜びだ。
その自然な親切さと笑顔は、始めて私に声をかけた時と同じもの。長年鍛え上げてきた商売用の話術とはいえ、屈託のない笑顔には、たいていの日本人が好感を持つと思う。

お昼からの私の予定(アジア側のユスキュダル)を確認すると、じゃあ夕方5時頃店に来てねと、ユooは去って行った。

7.ウooo登場

イスタンブル滞在2日目午後
アジア側のユスキュダルに船で渡り、ユooのお薦め「チャムルジャの丘」にタクシーで登りました。マルマラ海を挟んでアジア側とヨーロッパ側を一望の元に出来る眺望はなかなかのもの。チャイなどを飲んでゆっくりした後、再びタクシーで下り、船に乗船、夕方スルタンアフメットへと戻りました。(スルタンアフメットに居させない戦略。最後まで気が付かなかった私は間抜け以外の何者でもありません)

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チャムルジャの丘からの展望

ユooは昨夜「家族を紹介する。トルコの家庭料理をご馳走する」と云っていました。
いつもZ---に行くと必ずいる中年親父が、私の顔を見るとすぐ電話するのですが、傑作なのは「Baby came」
今となっては、Babyっていったい何人いたのかって思います。

Z---の3階でユooは私を口説き始めました。(絨毯付き)
「8才から働らき始めた」
「13~14才からはずっとウoooの店で働いているよ」
「お金はなかったけどずっと頑張ってきたよ。ぼくには頭がある。目も耳もあるよ。英語も日本語も一生懸命勉強したよ」
幼い時から絨毯屋で使い走りをし、親戚の店(ウooo)を頼り、働き続けてきたユoo
幼少時の苦労話には心から同情したし、何のバックボーンもなく自らの才覚と努力で生きてきたたくましさに、私は感心してしまいました。

「トルコでは、大事な女性に絨毯を贈る習慣があるんだ。16才の時に一生懸命貯めたお金で買ったシルク絨毯、今まで誰にも見せず大事にしまってきた。それをかこに見せたい。そして一緒にシェアしよう」
(えっ?えらい事になってきた。シェアってどういう事・・?)続いて「家族は遠くて来れないから、代わりに従兄弟を紹介する。トルコに26人しかいない絨毯鑑定士の一人だよ」

現れたのが、長身で黒髪が印象的な男、ウoooでした。
親玉登場です。

8.ウoooは「絨毯鑑定士」の2〜3番目?

ウoooは、ウェーブのかかった前髪をかき上げながら「はじめまして、ウoooです。日本の方は『うみoさん』と呼んでくれます。よろしく」と自己紹介しました。
175センチと長身ながら、がっちりした体系、日本語はユooよりさらに流暢、饒舌です。

3人揃ったところでディナーとなり、3~4皿料理が届けられました。
家庭料理とは、何のことはない出前でした。
トマトとキュウリ、ポテトのサラダ、ケバブなどトルコの定番メニュー、私はワイン、ふたりはウオッカを飲みながら談笑し始めました。
ウoooは、絨毯鑑定士の資格を取るのにいかに努力したか(美術、デザイン、歴史、色彩の勉強)を話し始め、26人の中でも2~3番目の腕前だと言いました。

彼は興味深い鑑定話(ばなし)を披露しました。
友人がある日、夜中に電話をかけてきたそうです。古いキリムが手に入ったが、どうもビザンチン時代の代物と思われる、今すぐ鑑定に来てもらえまいか。
起こされた彼は明日にしてくれと云うが、相手は興奮していて明日まで待てないという。
「わたし、眠たいのに彼の家まで行ったよ。でも驚いたね。確かにビザンチン時代のモノだった」
後日、糸からの判別、鑑定により、ビザンチン時代のオールドキリムに間違いないと認定されたそうで、何千万もの価値があろうという逸品だった。

私はこういう話が大好きなので、日本にも面白い話がある・・・と運慶の話を始めました。2008年に起きた美術界の大トピックス、ある外資系企業社員が東北のとある骨董屋で見つけた1体の仏像にまつわる話。ウン10万で手に入れた仏像が、何と運慶作の「大日如来座像」と分かり、文化庁の買い取りにも応じず、クリスティーズのオークションに出展させてしまったくだんの社員氏。幸い14億円余りで三越が落札し、文化財流出を免れたが、三越の陰には、また別の団体が潜んでいた・・・。

ウoooは、運慶を知らなかった。
まあそういう事もあろうが、こんな面白い話に彼は一向に興味を示さなかった。私は不思議に思ったものだ。オールドキリムの話も眉唾ものかもしれない。
同じ様な法螺話をその都度脚色しながらしゃべっているんだろうと、今では思っています。

9.絨毯をシェアしたい

ユooの口説きは続きます。
「この絨毯買うのにすごく頑張ったよ。あなたも頑張ってよ。一緒にシェアしよう」
一緒にシェア・・・将来を約束する人が現れた時に、半分ずつ金額をシェアし、お互いで絨毯を所有するという意味。
要するに自分が買った値段の半分を払ってほしいと云う事。
「じゃ、シェアした後で気が変わったらどうなるの?」と私。
「トルコのおとうさん、おかあさんが許さない」とユoo
明日実家から持ってくるという彼に、まあ見るだけならいいか、そんなに思い入れがある絨毯なら素晴らしいものに違いない。私は彼の絨毯に興味を持ってしまった。今から思えば「敵の策略にどんどんはまり込んで行くカモ」そのもの。

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Z---の屋上でチャイ

後日、この「シェアしよう」が、鑑定を依頼した大手絨毯屋さんで多いに受けました。
絨毯購入の経緯を社長さんに聞かれ「シェアしようと云われ購入した」というと、「シェア?ああ、半値という事?」とおっしゃられ、私も目からうろこが落ちた気分。しばらくたって「これからシェアしようと言って、売ろうよ」と社員におっしゃられ、詳しくは言えない私の事情をどう推察されたのか、一同大笑いになりました。

トルコに本当にそんな習慣があるのか、私は東京のトルコ通の友人にメールを出しました。日常から解放されたくての旅だから、ネットは見まい、携帯も緊急だけの積もりで、充電器も持参していませんでした。思わぬ、ユooとの連絡に使われた携帯はほとんど電池切れ、友人は返信を送ってくれたのですが、私の携帯は受信出来ませんでした。

[そういう事は知りませんが、遊牧民の畳のようなモノだから地方によってはそういう習慣があるかも]

10.人生(生命)の木

イスタンブール3日目
12時にユooとZ---で待ち合わせ、一緒にカーリエ博物館へと向かう。店を出てしばらく経ってユooの携帯が鳴り、「お客さんが来たから戻るね」
最初に会った時、彼は休暇でトルコに戻っていると云い、「かことずっと一緒に休暇を楽しめるよ」と言っていたはず。今から思えば、携帯が鳴る度に「Baby Came」だったのでしょう。

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カーリエ博物館の見事なモザイク

夜になって、Z---でユooが実家から持ってきたという「絨毯」にお目にかかりました。
ウoooも同席しています。
1.5平方メートル(幅1m、長さ1.5m)のシルク絨毯、デザインは所謂「人生の木」(生命の木)で、中央の大きな木を囲んで、小さな木が衛星の様にちりばめられています。
「生命賛歌・長寿願望・子孫繁栄を意味する一種の理想的な樹木」とされるツリー・オブ・ライフ。ユooは「これからたくさん子供を作って幸せになろうよ」と熱っぽく語りかけます。横でウoooも「これは素晴らしい絨毯」と、感に堪えた様に賞賛します。

値の高さにためらう私を説得し続ける二人。最後にウoooの殺し文句がありました。
「明日までよく考えて。でも、あなたを信じてる」

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「人生(生命)の木」の絨毯

話はもどって、Z---で昼に待ち合わせた時、印象深い出来事がありました。
事前に予約したホテルは2軒で、この日はホテルを変える日でした。パッケージを店で一旦預かり、次のホテルまで一緒に行くからとユooに言われ、「フォーシーズンズホテル」と告げタクシーに乗りました。
フォーシーズンズに乗り付けると、ドアボーイが荷物を預かろうとするのを、Z---から例の中年親父がすばやく出てきて私のパッケージを運んで行きました。「Sorry」と言って去ろうとした私の背後にドアボーイの声がかかりました。

「インシャ・アッラー」
(神の思し召しのままに)

11.続「人生の木」

イスタンブール3日目夜
絨毯の話が一段落付いて、ユooとタクシーで新市街の日本料理店に行きました。
名前は忘れてしまいましたが、タクシムの大きなレストランで、日本人ツァー客の一行も来店していました。ユooの食べっぷりは相変わらずでしたが、私はいっこうに食欲が出ません。ユooはもう絨毯の話はしませんでしたが、私の方は頭の中で「断る理由」を探し続けていました。

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ホテル屋上テラスでの朝食

4日目朝
10時半頃Z---に行くと、入り口にたたずむユooの姿がありました。
3階で私は絨毯は買えない事を告げました。
「将来たくさんの子供に囲まれて一族を繁栄させたいと云う夢を、私は叶えられない。子供を産み育てる年齢ではないから、もっと若い人を探して」
彼は知り合った時も「若い女の子は物足りない。年上がいい」と言っていましたが、「人生の木の絨毯」に然う人生を、私は歩めないと言いました。
ユooの答えはこうでした。
「子供はなくてもいいよ。僕には兄弟がたくさんいるし、姪や甥もいる。友達もたくさいる。みんなが僕たちを囲んでくれるよ」
今から思えば、詐欺師の予定された通りの言い草だったのでしょうが、当時の私は「相手との人間関係を壊さないでやんわり断る」事に腐心しており、これで次の言葉が出なくなってしまいました。
相手はただのカモと思っていても、私は「心の通い合った対人関係」の範囲内で対応していたのです。 

12.「有名ホテルの向かい」という立地

Z---は、フォーシーズンズホテル正面入り口の斜め向かいに立地しています。この意味するところは何でしょう?
日本で、「商業一等地に建つ有名ホテル」の前に位置するビルという事であれば、それなりに真っ当な商売をしているだろう、信用に値すると捉えるのが普通でしょう。ブランド指向と云ってしまえばそれまでですが、日本のみならずほとんどの国においての常識的思考と云える様に思います。
まさか一等地に堂々と建つビルの中で、詐欺行為、半監禁状態での購入強要が行われているとは、誰も思わないでしょう。
いかがわしく違法な商売をしている輩(やから)は、「路地裏の目立たない建物の中でひっそりと息きづき、転々と居場所を変える」というのが、私達日本人のイメージの様に思います。
アヤソフィア、ブルーモスクなどの世界遺産を目の前にし、フォーシーズンズホテルという超一流ホテルの正面入り口に堂々と店を構えるZ---。この店に誘われた(いざなわれた)人々は、みな、まずこの立地に安心して足を踏み入れるのだと思います。

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フォーシーズンズホテル 

13.絨毯購入へ

4日目午後
ユooは「僕、お金に困っていないよ。トルコで半分だけ払って。後の半分は日本でもいいよ」と言いました。私の迷う姿勢に相手も必死だったに違いありません。
夕方の再会を約束して、午後からは観光に出かけました。
オルタキョイまでトラムバイで移動、ジャーミーを見学したり露店をひやかしたり後、タクシーでドルマバチェフ宮殿へと向かいました。宮殿は、贅を尽くした調度品や絵が素晴らしく、広々とした庭園を吹き抜ける海風を感じながら、ボスポラス海峡やマルマラ海という地の利に恵まれたこの街の歴史に、改めて思いを馳せました。

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ドルマバチェフ宮殿

夕方Z---へと行きました。
ウoooユooによる説得の再開です。ウoooに入れ知恵されたのか、分割の話はどこへやらユooは全額の支払いを要求してきました。何とか断りたい私に、ウoooは「席をはずして。かこと二人で話すから」とユooを部屋から退かせ、「ユooは純粋、とても傷つきやすい。彼の交通事故の話、知ってるでしょ?」と20〜21才の時に起こした人身事故の話を持ち出しました。前日、腕に何筋もの傷を見つけた私に、ユooはこう説明していました。「レース中、並走した車が急ハンドルを切り、これを避けようと木に激突し、友達(同乗者)を死なせてしまった。僕も救急車が遅れていれば危なかった」
1年間刑務所に入り、今でも定期的に裁判所に通っている、相手の親に1000万の賠償金を支払わなければならない、ストレスで白髪がいっぱい・・・。今から思えばどこまでが本当やらと思いますが、バカな私はまたまた同情してしまいました。

が、車のガラスの破片で傷ついたと云ったユooに対し、ウoooは全然違う事を云いました。
「自分で切ったんだよ」

年長の友人は「誰にでも衝動買いはある。あなたのはそれに恋愛が付いただけ」と言いましたが、人は大きな買い物をする時どう決断するのでしょう。何とか整合性を見つけようと言い訳を探すものでしょうか。10日前に航空券(最後の残席)が取れ、あわただしく呼び寄せられる様に旅立った事に意味づけしようとしたり、仕事の結果を出した自分に褒美があってもいいと思ったり、いや、これだけの額をどこから捻出しようと現実に立ち返ったりと、いろいろな思い、抵抗が頭の中を行きつ戻りつしました。
最後にウoooはとどめを刺す様に、こう言いました。

「彼を傷つけないで。彼を信頼して、彼の言う通りにしてあげて」
 

14.カード限度額の引き上げ

ユooの自傷行為を聞いて、もう私には断る理由がなくなってしまいました。
ウoooは死亡した同乗者を「彼女」と云い、私が驚いたのを受けて、あわてて「ユooには黙って」と口止めしました。それもこれも二人打ち合わせの上の芝居であったのかどうか、事故そのものも、あったのかどうか、「傷」がその都度、異なったストーリー展開の小道具として使われたのかどうか、真相は分かりません。確かな事は、「彼等が、人の同情を買ったり、プライベートな関係が発展するかのように思わせ、高額なモノを買わせるという詐欺」商法を実行したということ。そして愚かにも私が引っかかってしまったということです。

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アヤソフィア博物館

私が承諾すると、すぐさまカードリーダーが用意され、ウoooはカードを通しました。
しかし限度額を超えているのでブロックされます。ウoooは「限度額を上げるよう、カード会社に電話して」とスピーカーONの状態で、自分の携帯を私に手渡しました。

この場面を思い出すたび、今でも戦慄が走ります。
カード会社との会話を固唾を飲んで聞いていたであろうユoo、横から手馴れた様子で指示を出していたウooo、そして唯々諾々と従ってしまった私、断る勇気の出なかった自分を情けないと思う一方、もし断っていたらどんな局面を迎えていたのだろう・・・。

結局、カード会社は審査に24時間かかるとして、決済は先送りとなりました。
その後三人で、眺望のいい、オープンテラスが広がるレストランに行き、食事しました。飲み過ぎたとして、昨日は「もう酒はやめるよ」と言っていたウoooがまた飲み出したのを見てユooはからかっていましたが、ウoooは非常に饒舌で、「私、こんな生活していたらあと5年で死ぬ」(一晩客と飲み明かした)とか「日本の若い世代は覇気がなくてもうダメ」などさかんに持論を展開していました。特に株で800万損したとかいう話は迫真もので、実に話のうまい人だなと感心したものです。
いやいや、明日のカード決済に向けて、私の気が変わらないよう、必死に「営業」していたのでしょう。

15.カード決済と、ウooo

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午前の観光はユooと一緒にアヤソフィアへ。私が入るのを見届けて「出口で12時にね」と今日も「ナイト」に徹しているユooです。アヤソフィアは現在修復中で、NHKの「世界遺産への招待状」でもその模様を伝えていましたが、天井部分の壁画修復は並大抵の作業ではなく、むこう何10年にもわたって続けられるそうです。

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どの角度からも、キリストは我々を見つめます

出口でユooと合流、Z---へと行きました。カードの決済を夜と思っていた私に、待ち構えていたウoooは気勢を制すように「カード会社に電話して」と迫ってきました。後から思えば、アヤソフィアの出口で私を探すユooの顔は、いつにもまして真剣だった様に思い起こします。昨日と同じように、ウoooの携帯でスピーカーONの状態で電話をさせられました。カード会社の審査はあっけなく下り、ウoooは、「下で決済する」と私のカードを持って階下へと降りて行きました。私は腹をくくってはいましたが、さすがに目に見えないところで決済されるのは不安で、抗議しようかと思う内に、もうウoooの姿は消えていました。

再び上がってきた彼の第一声は、
「だめだった」
今でも忘れられないこの言葉。
えっと驚いた私・・・を安心させるかのように、次ぎには破顔一笑「ウソだよ。大丈夫だったよ」

この時の光景はその後何度もフラッシュバックの様に、私を責め、苦しめました。人を騙して、なおかつ弄ぶ(もてあそぶ)かの様に揺さぶる、その心根、私がユooにどれだけ心を許していたかを知った上でのいたぶり。限度額を上げさせてまでカードを切らせたカモに、「だめだった」という言葉で「からかい、遊んだ」ウooo。

この時の怒りは今では悲しみへと変わりましたが、ブログを立ち上げる大きな原動力となったのは、確かです。

16.チャイを運ぶ高校生

カード決済が終わりました。
ピエールロティに行きたい私に、ユooは「ファooに案内させるから二人で行ったらいいよ」と言いました。ファooは、学校が休みの時だけ店でアルバイトをしている、高校生の男の子。ウoooは店の出口まで私達を見送り、明日の私の帰国時にも立ち会うと言っていましたが、結局これが最後となりました。
ムスリムにとって聖地のひとつとされる「エユップスルタンジャミィ」にタクシーで向かい、その後は「ピエールロティ」へと登りました。

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 エユップスルタンジャミィの美しいタイル

「ピエールロティ」でファooとランチしようと思いましたが、ラマダン中で、彼は食事はおろか水さえ飲みません。「僕に構わず食べて」と言いましたが、とても食べれるものではありません。アイランだけ飲みながら、彼と話をしました。日本語は話せないので英語での会話です。シャイながらとても感じの良い子で、将来はイスタンブール大学へ進学したいから一生懸命勉強しているのだと言っていました。

最近、このファooも、実は商談の雰囲気作りの「小道具」のひとつだったのだと気が付いています。[純情そうな高校生が、商談中にチャイを運んでくる]
ウoooなど大人の男に混じってかわいい男の子が出入りするのは何となく和み(なごみ)ます。一人旅の旅行者に安心感を与えます。現にコメントを下さった方のお一人が「時々チャイを運んでくる男の子に、ウoooと二人きりではないと思わせた」と書いてらっしゃいます。
賢いファooが、毎日店の商売ぶりを見ていて気が付かないはずはありません。純情そうな顔の下にしたたかさを秘めていたのか、それとも自分は別の道に進もうと思っているのか、果たしてどちらなのか。ファooは反面教師で育ってほしいと、こんな事をまだ考えている私が、一番甘いのかも分かりません。

今でもZ---で客にチャイをふるまっているであろう彼を想像すると、切なくなります。

17.現地での、Z---の評判

5日目午後
ピエールロティを下り、エジプシャンバザールへと寄りました。高校生バイトのファooも一緒です。入り口近くの香辛料の店で呼び止められ店に入りました。ハーブティやドライフルーツなどを物色する私に、カラスミをしきりにセールするお兄さん、「奥さんは日本人」というだけあって、日本語がぺらぺらでした。ふと思い立ってZ---の評判を聞いてみました。高校生ファooは日本語が分かりませんから横にいても平気です。
「Z---はどんな評判?」
その瞬間彼の顔にはっとした表情が浮かびました。間髪を入れず「絨毯買ったの?」と私を見つめます。その真剣な表情に返事がためらわれ「いいえ、まだよ」と返しましたが、気になります。「どんな評判なの?」と再び聞くと、「お店の評判は言わない事にしてるんだよ」と、はぐらかされました。
結局、購入は控え、名刺をもらってZ---へと戻りましたが、この時始めて私の心に小さな疑問が浮かびました。

帰国後、「現地での、Z---の悪評判ぶり」は、領事館の「注意喚起」(平成21年10月21日)も含め、各方面から聞こえてきましたが、こういう悪徳業者がごく一部である事を信じたい私としては、観光業界全体としての自浄作用はどうなっているのか、少々疑問に思ったりします。2010年欧州文化都市」に選ばれたイスタンブールが、文化芸術国家としてのイメージを、観光客への詐欺行為などで自ら損なわせるのは、残念だと思います。

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エジプシャンバザール

高校生バイト、ファooの話をもう少し聞いて下さい。
彼は、タクシーに乗る度に、料金を払おうとしました。まさか高校生に出させるわけにもいかないので、私が払ったりもしたのですが、その時の恐縮ぶりが今でも印象に残ります。案内のお礼に「本でも買ってね」と小額の日本円を渡した時も、とんでもないと遠慮したあげくようやく受け取りました。今思えば、普通の高校生ならもっと素直に、うれしそうな顔をすると思うのですが、彼はそうではなかった。どこまでも丁寧で案内人に徹し、すでにもう「大人」の雰囲気を身繕っていました。

Z---のに戻って、ユooには「名刺を貰ったって?」と聞かれました。ファooはそんな事まで報告するのかとびっくりしましたが、やはり「観光案内を装っての、カモの見張り」としての役割を、忠実に実行していたのでしょうね。

18.「あなただけ特別」という演出

5日目午後
夕方、仕事の終わったユooに「クルーズに行こう」と誘われました。
ボスポラス海峡の大橋あたりまでの往復でしたが、「小さな船」での航行なので、波が高いと激しく揺れ、私は必死にしがみつく有様でしたが、ユooは帆先で電話したり、船頭がコーヒ−を入れているあいだ舵を取ったりとリラックスしていました。
「僕の方が上手でしょう。揺れないよ」
聞けば去年までヨットを所有していたそうで、確かに、船頭の操縦より船の揺れは収まった感じでした。
「来年は、絶対ヨットを買うよ」と言いながら、帰りはユooがほとんど操縦していました。

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私は6日間のイスタンブール滞在中、毎日Z---に出入りしたのですが、その間一度も他の客と遭遇しませんでした。考えてみれば不自然な話で、背後に何らかの意思があったであろう事は想像に難くありません。
「客同士の鉢合わせ」をさせない理由は何か?
客どころか従業員とも6日間の間中、同じメンバー(ウooo、ユoo、高校生ファooと、1階にいた中年親父)でまわっており、一度、3階で「違う顔」を見た事はあるものの、どういうわけか、その男は決して私を見ようとせず、不自然に顔をそらせたままでした。
コメントを下さった方々も、みなさん1〜3人の決まった人間としか接触しておらず、それぞれの組み合わせのまま、決して「他との組み合わせ」とは重ならない様に管理されていた様です。
客同士を会わせなかったり、担当の客引きが「ナイト」の仮面をかぶって張り付いたりする目的は、当然ながら「客同士の情報共有、交換の阻止」「外部からの情報遮断」という事でしょうが、もうひとつ「舞台の個別化」という側面も上げられると思います。
決まったメンバーのみで演じられる「恋愛劇場、友情劇場」に他の人間が登場しては現実に戻ってしまいます。「旅先」という非日常の世界を背景とし、Z---のツワモノ役者共出演のなか、客は絨毯やキリムを購入するという役回りを演じさせられてしまうのです。

Z---という店では「あなただけ特別」と思わせる舞台が幾重にもあり、日々開演されている・・・といっても過言ではないでしょう。
結局はみな同じ売り方をされているのであり、「将来を約束する人」がたくさんいたり、「友情の証に、卸値価格で売る、誰にも見せた事のない素晴らしいキリム」が多数あったりするのです。

19.ブログの立ち上げ

6日目
ついに最終日となりました。ユooの勧めで、プリンセス・アイランズの一番大きな島「ビュユック・アダ」に行きました。往復3時間の航行に時間をとられ、馬車での島内巡りだけに終わったのはもったいなく、やはりトプカピをもう一度じっくり見た方がベターだったかと思いました。

Haydarpasa
船上から見た「ハイダルパシャ駅」

6日間のイスタンブール旅行を終え、夜便に乗り帰国しました。
買う予定など、さらさらなかった高価な絨毯も一緒です。長いフライトの中で、最後のユooとの食事を考えていました。イギリスから一時帰国する長兄だか次兄だかを迎えに行くために、姪やら3番目の兄等も加わった食事時の様子。また私を加えた4人同乗での空港へと向かう車中の風景。なぜか3番目の兄も姪も、私に対してずっと表情が固かったのです。そして、ユooは彼等の紹介はしても、私の事は紹介しなかった。
夜、自宅へと帰りついた私に、2度にわたってユooから電話がありました。2度目の呼び出し音は、夢うつつに聞こえた深夜の3時。

翌日、パソコンを開け、「Z---」と検索をかけました。
「ウooo、ユoo」の名前もいれて検索。店のHpの代わりに見つけたのは、何と恋愛詐欺師と称されるウoooの記事の、数々でした。
衝撃が走りました。
同時に、少しづつ積み重なった小さな疑問が、ジグソーパズルの残されたピースのごとくはまり、心の中で声にならない叫びが聞こえました。自分の人生観のものさしで測る事のできない「大掛かりな騙しの演出」の不可思議さ、奇妙さは、いったいどう解釈したらいいのだろう。どこへも持っていきようのない「情けなさ、くやしさ」、そして彼等に対する「怒り」・・・。

数日経ってようやく「戦おう」という気力が出てきました。
ブログを立ち上げ、体験を綴る事により彼等を告発しよう、自分自身の気持ちの落ち着きどころを探そう。
たった一つの小さな記録でしかなかった私のブログは、すぐに多くの被害者の方や、情報をお持ちの方々からのアクセスを受け、彼等の正体をさらけだしていきました。 

20.絨毯の鑑定へ

ブログを綴る事と並行して、絨毯の鑑定へと動きました。
鑑定をお願いした会社は、ペルシャ絨毯の大手総合商社。

Z---で購入した1.5平方メートル(幅1m前後、長さ1.5m前後)の絨毯は、ペルシャ絨毯では「ザロニムサイズ」と呼ばれるものです。
7〜8才から絨毯屋の使い走りとして働き始めたユooが、10年近く資金を貯めて購入したシルク絨毯、将来を誓い合う女性が現れた時、その証としてシェアする事を夢に、実家で大事に保管してきたはずのものでした。
果たして、値段に見合う価値はあるのか、ないのか?

総合商社では、ザロニムサイズのペルシャ絨毯数点と、私の絨毯を一堂に並べて比較する形で、鑑定が始まりました。並べられた絨毯は、30万、35万、50万、85万、90万、200万、220万のもの。(デパートへの卸売り価格で、現地相場の1.5〜1.6倍。)
私の絨毯を一目見て、社長さんは「普通の絨毯」と、言いにくそうではありましたが指摘されました。そして素人の私にも分かる様に、鑑定方法の説明をして下さいました。

鑑定基準
1.糸の品質
2.織りの密度(1平方メートルあたりの結び目の数。ノットで表す)
3.美術品としての価値
その他、歪みの有無や、染めなども加えて、総合的に判定していきます。

ユooと私でシェアした」生命、人生をモチーフとする絨毯↓
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ユooは400万円で購入したと、言いました。

カード会社に電話までして上げさせた限度額の中から、私は200万円を切りました。

21.騙された背景

荒唐無稽なストーリーに乗せられて、200万もの絨毯を購入してしまった要因とはいったい何だったのか?

旅先ではもちろん、実生活においても騙された経験などなく、そんな事は自分には起るはずもないと思い込んでいたことに、まず油断があったと思います。
過去に経験してきた海外一人旅でも、さしたるトラブルに巻き込まれた事もなく、すりやひったくりの多いヨーロッパなどと違って、トルコは比較的安全というイメージがありました。
イスラム国家として、西洋の立地点としては微妙な立場にあるトルコですが、私達日本人にとっては「馴染みやすく懐の深い国」として近しい存在です。千年の都といわれるイスタンブールは、かつての栄華は失っても、その歴史の重層性の故に世界のどこにも存在しない独特の輝きを持って、世界中からの観光客を魅了し続けています。
ヨーロッパでは緊張と気合いがいるが、トルコではのんびり出来るだろうと、私は1週間の休暇をこの地に決めました。

詐欺師の手練手管に嵌まってしまった要因は、様々あると思いますが、次ぎの2点が大きいと考えています。
1.日本の詐欺の概念からはずれている
2.「外国人の話す日本語」から醸し出される、独特の雰囲気

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フォーシーズンズホテル

以前「有名ホテルの向かいという立地」でも書きましたが、Z---は「フォーシーズンズホテルホテル」の向かいに堂々と店を構えております。日本でいえば「帝国ホテル」の前で商売している様なもので、結婚詐欺、半監禁状態での購入強要などを行っている店が、一等地に居を構えるなど、日本人の感覚からはかけ離れております。
日本であれば、怪しげな商売をしている輩は転々と居を変え、定住などしないでしょう。Z---の立地、店構えは、それなりに信用の置ける商売をしてるのだろうとの認識を、日本人には抱かせます。

語学
ユooが私に話した同じ内容を、日本人が話せば・・・騙されなかったでしょう。
「外国人が話す日本語」の一種独特の世界というものがあるのではないでしょうか。日本国内でも、一生懸命日本語を話す外国人には、私達は耳を傾けます。「外国人に甘い」と言われればそれまでですが、「外国人の話す日本語」は、抑揚やリズム、発音の違いから、独特の空気というか、雰囲気を造ります。
一方で「外国人にとって、日本語は難しい言語」と、私達は思い込んでいる節があります。その日本語を努力して習得した外国人を特別視してしまいがちな傾向もあります。
流暢に話す彼等に、私達は「日本語、お上手ですね」と言ったりしますよね。

イスタンブールという異国を背景とし、ウoooやユooの巧みではあるが「イントネーションの違う日本語」で語られた嘘話は、実に迫真性があったものだと、今でも思い起こされます。

22.日本での再会

トルコ旅行から帰った数日後の2009年9月30日、私はブログを立ち上げました。
ネット上でのZ---の悪評に接して、ユooの、何度も繰り返された「僕を信じて」の言葉が頭を巡るなか、「荒唐無稽なストーリー」をどう解釈したらいいのか、まだ辛い日々が続いていました。

しかしながら、ブログが機能し始めると、多くの方からコメントがいただけるようになり、ウミットの恋愛商法による「Z---という店の商売の実態」が、私の中で、よりはっきりと見えてくるようになりました。
ユooからは、帰国後も毎日のように電話がありましたが、ブログの立ち上げやネットでの情報はおくびにも出さず、彼と話し続けました。
変わらぬ口調に、ともすればトルコでの日々に引き戻されそうにもなりました。
私の帰国数日後には、彼自身も本拠地の日本に戻ってきており、「お客さんに絨毯を見せに行く用事があるから、そっちに行くよ」と、10月初旬に、私の居住地で再会する事となりました。

「生命の木」のストーリーを、これからどのように展開させていく積もりなのか?
高額な絨毯を売るために「シェアしよう」と言った言葉に対して、どう言い繕うのか?

私は「ネットでの情報の真偽」を確かめるために、もう一度会おうと、思いました。

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クムカプでの食事

10月其日、彼は、小さな絨毯の包みを持って、待ち合わせの場所へとやってきました。 

23.恋愛劇場の再演

トルコ旅行から帰国して3週間後の2009年10月其日、ジーンズ姿のユooは、笑顔で私の前に現れました。
高島屋の包装紙に包まれた、丸まった筒状の荷物、たったひとつを携帯して。

再会を祝して、ビールで乾杯し、食事をしました。
「箸は使えない」と冗談めかして言ったあとは、日本のおコメの方が好き、と器用な箸さばきを披露、トルコで日本料理店に私を誘ったことなど忘れてしまったかのようでした。
そして、イスタンブールが2010年欧州文化都市に選ばれたことを挙げ、「トルコは世界一になるよ。世界中から観光客が来るよ」と、熱く言い始めました。
どこかで聞いたような・・そうです、知り合った直後に、ギュルハネ公園で聞いたセリフと全く同じです。
どうやら「恋愛劇場」の再演をしようとしているらしいのですが、将来を誓い合う証(あかし)として、すでに「絨毯をシェア済み」の仲なのに、不思議な言動です。
そして、彼は言いました。
「一緒に住もうよ」

相談に乗ってもらっている友人は言いました。
「詐欺師達は、相手の女が結婚を迫るタイプか、そうでないか分かる。迫らない女達に、絨毯を売っているのよ」

ネットにはウoooの名前はあふれていても、ユooの名前は見つからなかった。これは詐欺、とはっきり分かっていても、彼の悪評がない事実に、すがりたい思いもありました。
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トプカプ宮殿ハレム

聞きたいことは、山ほどありました。
日本に所有している、2百枚程の絨毯を、どのような手段で売っているのか。
ウoooが言うように、ほんとうに百貨店で展示会を開いているのか?
来日して3年半、そのうち1年間は、小o製作所で梱包の仕事をしていたと、トルコでは言っていました。 では現在の生活の糧は何なのか?

そして、何より、査証(ビザ)
長期滞在ビザを、いったいどのようにして習得したのでしょう。 

24.2枚目の絨毯

トルコ旅行時、ウoooは「日本の大手百貨店と取引がある」と、言っていました。
具体的にどこの百貨店なのか、またそれ以外に絨毯を売る手段は何なのかを、目の前にいるユooに聞きました。
「催事のみの、百貨店展示」だけでは、生活の糧として十分とは言えないのではないか。

彼は、具体的な百貨店の名前を挙げることはしない代わりに、こう言いました。
東京の「青oキリム店」が展示会を開催する折りに、自分の絨毯も出展させてもらっているのだと。「時々遊びに行く」というそのキリム店が、「健康保険証も出してくれている」と言ったのには驚きましたが、一方、1年間働いていたという小o製作所との「なれそめ」に対しては、こう答えました。
「社長がZ---で絨毯を買った時に、僕を気に入ってくれたので、雇用を頼んだ」
梱包以外にも、いろいろな仕事をして、認めてもらえた、とも言っていました。
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スルタンアフメット

「絨毯を見せてと頼まれた」客から、彼の携帯に電話が入りました。
待ち合わせ場所などを確認する内容のようでしたが、親しげな中にも、「失礼します」などという言葉が入り、日本での居住の長さを感じさせました。

絨毯は、高島屋の包装紙でくるくるっと丸められただけだったので、「お客さんに見せる前で悪いけど、よかったら見せて」と言いました。
中から出てきたのは、小さな2枚の絨毯。
ペルシャ絨毯で「ポシュティ」と呼ばれる最小サイズで、50cmX80cmか、あるいは60cmX90cm、ひとつはウール、もう一方はシルクのようでした。
ウールは、白、黒を基調としたモダンなデザインのもので、15万、これをお客さんに見せるのだと言いました。

一方の、ブルーのシルク絨毯。
「綺麗ね」という私の言葉を待っていたかのように、ユooはこう言いました。

「380万だけど、200万でどう?」 

25.何度でも、売る

「380万だけど、200万でどう? 卸値は208万だけどね」

人は、自分の生きてきた価値観の中でしか、物事を考えることはできないのでしょうが、この2枚目の売りつけは、私にとっては、想像すらできなかった展開でした。
衝撃が走りました。
同時に、以前事情通の方から教えていただいた言葉が、頭に甦りました。
「売った後でも騙された事に気付かず、まだ惚れている相手には、何度でも売る。1枚買ったからといって安心してはいけない」

冷静を保とうと、必死に自分自身を抑えていた私に、彼は2枚目の売りつけ理由を、こう説明し始めました。
「明日までにトルコに200万送金しないと、刑務所に収監される」

旅行中に聞いた、例の、同乗者を死亡させたという交通事故の話の続きでした。
[1000万の賠償金を、相手の親に払い続けている]
幼少時の苦労話(7〜8才から働いていた)といい、負債を負っている話といい、再び私の同情を引いて、多額の金銭を引き出そうとするユoo。
の心根に、人間として信じ難いという思いと、正体を見たとの思いに、胸が締め付けられました。

「なぜ家族や友人に貸してもらわないの? ウoooに頼めないの?」と聞く私に、「お金の無心は家族や友人にはできない。このままではトルコに帰れない」とユoo

今回の売りつけへの伏線としても張っていた「交通事故話」の用意周到さ、そして1ケ月も経たない期間に400万もだまし取ろうとした、冷徹なまでの悪道ぶり。
将来の証としての1枚目の絨毯は、単なる序章にしか過ぎず、2枚目、3枚目へと、線路はすでにトルコで引かれていたのだ。長いスパンで徹底的にむしり取ろうとする策略が、今まさに始まろうとしていた事実に、慄然ともいうべき思い以外、ありませんでした。
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アヤソフィア博物館

人として、心から信じたを真情を逆手に取られ、騙された衝撃は、大きかった。
精一杯見開かれた目に、哀願を込めて訴える、ユoo
彼にとって、私は単なる「金づる」にしか過ぎなかった。

これまでの人生において、裏切られた経験のなかった私に、始めてともいうべき感情がわき上がってきました。

許すことはできない。

26.絨毯屋でもあり、ジゴロでもあり

1日で200万調達など、そうそうできる話でもないのに、刑務所収監の噓ばなしを、臆面もなく披露し、無心したユoo
将来の証としての絨毯に、200万のカードを切ってひと月も経たない「相手」の状況、心情に、一片の斟酌すら持たない無慈悲ぶりに、言葉が出ませんでした。
「相手が惚れている」間は、とことんむしり取ろうという策略なのでしょうが、愛情・信頼を利用しての搾取が、どれほどの打撃を相手に与えるか、おそらく想像したこともないのでしょう。

「200万払ったばかりで、さらなる200万は私には難しい。絨毯に興味のある友人に聞いてみる」
以前、ユooが電話で、「かこの家に友達をよんで。展示会を開きたい」と言っていたのを思い出し、これを言い訳にして、婉曲に断りました。

ブルガリのネックレスとリングを身につけ、本人曰く1000万の黒のベンツに乗っているユooが、200万を工面できないと哀願している状況は、今でこそ滑稽以外の何ものでもないですが、この時は、目の前の男に、怒りを覚える以外ありませんでした。

絨毯屋でもあり、実は「ジゴロ」でもあった。
二足のわらじを履いた、若くして、すでに、哀しき人生。
トルコの伝統工芸を悪用した「ぬれ手に粟」の商売。
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カーリエ博物館

「沖縄に行きたい。ヨーロッパも見てみたい」
トルコで、明るく言っていたこの台詞も、ほんとうはこう言いたかったのかもしれない。
「沖縄や、ヨーロッパへ、連れて行って」

トルコで絨毯を買って3週間、再びの売りつけのためだけに会いにきたユooに、自分の甘さ加減と、相手のしたたかなまでの魂胆に、砂を噛むようなやるせない思いだけが残った「再会」となりました。
もう二度と会うことはないだろう。

そして、それから数日経ったある日、
お二人の方からコメントとメールが届きました。イタンブールと日本からと、場所は違えども、内容は全く同じ。

私の知らないユooの情報が、そこにはありました。

27.「日本在住」の真実

再会2〜3日後、鳴り続けていた電話に出ると、「友達はどうだった? 早く200万送金しないと刑務所に入れられる」と、切羽詰まった物言いで、無心を繰り返してきました。
「もう1枚の絨毯は売れたの」と聞くと「売れなかった」
そして、「前は、折り返しすぐ電話があったのに・・・もう終わり?」と、敏感に状況を嗅ぎ取ったかのように、哀願を込めて訴えました。

同日夜に再び電話があり、
「ぼくのこと、インターネットに書いてるでしょう」
ブログを立ち上げてひと月も経たず、記事も4〜5編しか上げてない段階で、はや知られてしまったことに、驚きました。
「友達が教えてくれた」
知らないと答えましたが、翌日再び電話があり、今度は「何か悪いことしてない?」
自分の行動は棚に上げて、盗人猛々しく、よく言えたものだと思いますが、以後、200万の無心ばなしは消えました。
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アヤソフィアの「聖母マリアの手形」

同時期、相次いで、ブログコメントとメールを通して、情報が飛び込んできました。
おひとりはイスタンブール在住の日本人、かたや現地の情報に詳しい日本の方。

「Yってユooでしょう。彼の客引き姿はよく見ていたが、恋愛詐欺をしていたとは知らなかった。感じのいい好青年だと思っていたのに、衝撃を受けている」と異口同音に書かれてありました。

そして、今度は、私が衝撃を受ける番でした。
「彼は結婚している。配偶者は日本人」
しかも、この2009年9月訪土は、奥さんを連れての里帰りであると・・・。 

28.絨毯鑑定結果

2009年11月、絨毯の鑑定を行いました。
その折りの経緯を、2010年2月2日に、「絨毯の鑑定へ」として、記事を掲載いたしましたが、結果は書いておりませんでした。
周囲の状況から、時期尚早との判断でした。

鑑定基準として、
1.糸の品質
2.織りの密度(1平方メートルあたりの結び目の数。ノットで表す)
3.美術品としての価値
が挙げられ、その他、歪みの有無や、染めなども加えて、総合的に判定していきます。

ユooが、400万で購入、シェアするとのことで、私が出した金額が200万。
400万の価値は、あったのか?
topkapi-4
トプカプ宮殿 ハレム

鑑定結果は、シルク糸の品質はかなり下位、ノット数も低いと判定され、現地の市場価格として、20万という数字が出ました。
何と、20分の1という、驚くべき倍率・・。
私が出した200万という数字に当てはめても、10分の1。

これは「現地で、観光客が買う市場価格」ですので、卸値は、さらにその3分の1程でしょうか。
6〜7万で仕入れたであろう絨毯を、いったいどこで、400万という信じられない価格で、ユooは購入したのでしょうか?
悪徳絨毯屋の恋愛詐欺商法に引っかかり、200万の絨毯を購入してしまった経緯をまとめています。2009年9月、トルコイスタンブールへと旅立った「トップ記事」から、順々にお読みくださいませ。その後の「彼等との戦い」は、本館で更新中です。
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